宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

ルポルタージュ絵画の可能性

 去年の1220日に宇波彰先生にお借りした『日本のルポルタージュ・アート~絵描きがとらえたシャッター・チャンス~』(以後副題は省略する) と題された1988年に開催された展覧会の図録。私はこの図録を眺め、そこに書かれた解説文を読んでいる。そして、ルポルタージュ絵画という問題について何か書くべきであると、今、思った。先生は私が書き散らかしていた絵画論をいつも丁寧に読んでくださっていただけではなく、探究の方向性と広がりとに関して的確な批評をしてくださり、様々な助言をくださっていた。16日の先生の御逝去に多くの人は強い衝撃を受け、その突然の訃報に言葉を失った。だが、悲しみに包まれた日々は徐々に過ぎ去り、いつの間にか先生の四十九日も過ぎていった。『日本のルポルタージュ・アート』をご遺族の方にお返ししようとしたが、「父のために、もらってやって下さい」という言葉。その言葉に甘えてこの図録を頂いたが、じっくりと読む気分にはなかなかなれず、今日やっとページを開き、掲載された絵を見ながら解説文を読んだのだ。

 1988年と言えば、三十年以上も前であるが、この展覧会には今も色褪せない重要な問題性があると私は直観的に思った。それは第一点目として、この展覧会が一般的なルポルタージュ絵画の定義を越えて、この絵画ジャンルを定義づけているという問題。第二点目は現実に起きた社会的に見て大きな出来事を絵画はどう捉え、どう描いていったかという問題。第三点目は、他の記号表現ではなく、絵画によって提示されるメッセージ性の問題。第四点目は、今述べた三つの視点を踏まえたルポルタージュ絵画の展開という大きく分ければ、以上の四点であるように考えられる。それゆえこのテクストでは今挙げた四つの点について記号横断的視点を中心に据えて、順次検討していこうと思う。

 

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宇波先生の死を悼む

 宇波先生、あなたはいつも軽やかでした。哲学が深さを求めるだけのものではないことを、あなたはいつも語っていた。見捨てられ、顧みることがないような小さなものにこそ真理が隠されていることを、つまりはベンヤミンが語っていたミクロロジーの重要さを教えてくれたのも、あなたでした。知とは深遠なもの、重厚ものであるだけではなく、遊戯的側面も、軽妙な側面があることを、あなたは熟知していた。

 今年の初め、最後にいただいた葉書。そこには、「おかげで体の方はほぼ回復しましたので、しばらくはベンヤミン、ラカンに集中して、考えてみたいと思っているところですが、ついほかのところへも眼が移ってしまいます。何とかコロナ型ウィールスが退散するよう願ってやみません」と書かれていた。二年程前、先生はご自宅で転倒され、大腿骨を骨折され、四カ月以上東久留米の病院に入院されていた。その大怪我からも回復し、また元気に行動されようという時に、このようなことになるとは。

突然の訃報。先生のご子息である拓さんからのご連絡で、私は先生が16日にお亡くなりになられたことを知った。宇波先生の大学時代の同級生で、60年以上交流があった日本近代思想史ご専門の子安宣邦先生はFacebookに、「宇波彰の急逝を知らせる昨夕のメールを今朝になって読み、ショックを受けた。老いてからの新たな関係が始まるかと思っていた矢先に天は宇波を連れ去ってしまった」とお書きになられた。あまりにも突然の死。先生の逝去を知った多くの人が驚き、大きな衝撃を受けた。

 宇波先生と私が初めてお会いしたのは20111229日だった。受験参考書を制作するための打ち合わせのために編集者と一緒に新宿の紀伊国屋書店で待ち合わせ後、喫茶店で一時間程お話した。その時、明治学院大学で先生が月に一回行われている講義のことを知り、その講義に参加するようになった (講義は2014年の3月まで続いた)。そこで印象に残ったことは、お話が終わった後、先生がご自分の講義に対する感想や意見を参加者一人一人にお聞きになり、その感想や意見に丁寧に受け答えされていたことだった。そこには一人一人の参加者と直接対話することを重視した先生の姿勢がよく現れていた。

 宇波彰現代哲学研究所ブログに、私の拙論を最初に掲載していただいたのは20137月だった。野矢茂樹と西村義樹の対談集である『言語学の教室:哲学者と学ぶ認知言語学』について何か書きませんかというお手紙をいただき、この本に対する書評を書いた時だった。定期的に掲載させていただくようになったのは20164月からで、50回以上拙論を掲載していただいた。宇波先生は、いつも私の拙論を丹念にお読みになり、励ましの言葉と、暖かいコメントを下さった。

多くの私の拙論が、研究所のブログからちきゅう座に転載されるようになったのも先生のお陰で、ちきゅう座の運営員長の合澤さんと技術委員長の青山さんとお会いできたからであった。宇波先生のご提案で社会批評研究会 (旧日本会議研究会)が、先生の明治学院大学のご講義の参加者と、ちきゅう座の何人かのメンバーとによって作られたのは201610月ことだった。先生はこの研究会に積極的参加されただけでなく、ご自宅でも新・記号学講義というとても興味深いご講義を毎月なさっていた。

先生が沢山の手紙をお書きになることはよく知られていた。本の執筆、様々な雑誌、新聞などに掲載された書評や映画評論といった著述活動や、ベルグソン、ドゥルーズ、ガタリ、ボードリヤール、モランといった数々の思想家の本の翻訳活動だけでなく、様々な人たちに沢山の手紙を書き、多くの人と直に対話を行い続けた。先生とお会いしてから9年余りで、私は約400通の手紙をいただいた。先生が生涯お書きになった数万通に上るのではないだろうか。

 宇波先生の一般弔問の行われた日、社会批評研究会のメンバーの川端さんから、九鬼周造の講演テクスト『仏蘭西哲学の特徴』の日本語の草稿とフランス語の草稿とのコピーをいただいた。フランス語の草稿を読むと、九鬼がベルグソンと同様に誰にでも判るような言葉で茫洋たる哲学を語った思想家であることがはっきりと理解できる。このフランス哲学的語りの伝統を宇波先生も継承されておられた。講義だけではなく、先生のエクリチュールも専門家だけでなく、多くの読者が読んで了解可能なように難解な思想も判り易く、きめ細かく解説されたものであった。その文体は軽やかで踊るようであった。

201910月に行われた第30回社会批評研究会のレジュメで、先生は「コンステラリオーンは『ドイツ悲劇の根源』の冒頭で示されていて、そこでKonfigurationということばも使われている。相互に無関係と思われているものを「星座状に組み合わせること」によって意味を形成させることであり、対象に対する「概念」の役割と平行的に考えられている」とお書きになられている。ベンヤミンの「星座」という難解な概念を簡潔に、平易な言葉で説明してくださっている。軽やかな知のダンスが、そこにも見出される。

『仏蘭西哲学の特徴』のフランス語草稿の終わり近くで、九鬼は、「哲学は抽象的な無味乾燥な抽象的な認識などではありません。生の高鳴りを捉え、生の震えを感じること、それが哲学です」と述べているが、宇波先生はこのことをよく知っておられた。深さのみを求めるのではなく、横への広がりも哲学的探究には重要であることをわれわれ一人一人に語ってくださった。その語り口はリズミカルで、本当に軽快だった。知は深淵でありながらも、軽やかに舞うことでもある。そんな宇波先生の声が今も何処かに響いているように思われてならない。

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『「維新」的近代の幻想』を読む

 去年の1121日、社会批評研究会の懇親会の席で、会のあるメンバーの方から2020930日に発刊された子安宣邦氏の『「維新」的近代の幻想――日本近代150年の歴史を読み直す(以後サブタイトルは省略する) を頂いた。この本が近代日本思想史を考える上で極めて重要な著作であることは読む前から判っていた。だが、その時、私は日本の戦争画の展開における月岡芳年と藤田嗣治との関連性に対する拙論を書くための文献を読み漁っていた。それは思っていたよりも面倒で、手間のかかる作業であり、その作業に追われていた私は子安氏の本と向き合う十分な時間を取ることができなかった。

 『「維新」的近代の幻想』は容易に読み進めることができるような本ではない。熟読し、理解するためには相当の奮励を要する。それだけではなく、この本を読めば何かを書きたいと思う、いや、正確には書かなければならないと思うに違いないという予感もあった。その予感があったゆえに子安氏の著作を開く勇気がなかったことも事実であった。12月の半ば過ぎ、戦争画関係の拙論を書き終えた私はやっと『「維新」的近代の幻想』を読み始めた。

 予感は当たった。だが、私が書きたいと思ったことは、この著作に対する専門的で、厳密な書評といったものではなかった。私は、近代日本思想史の根本問題を探求しようとするこの著作と真正面から対峙する知識もなければ、能力も有してはいない。ここで行おうと思うこと、それは子安氏のテクストを斜めから見つめること (looking awry) である。斜めから見る方法はスラヴォイ・ジジェクが提唱している記号学的な変形によってテクスト解釈を行おうとする考察アプローチであるが、それはヴァルター・ベンヤミンのミクロロジー (Mikrologie) とも、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが主張した横断性 (transversalité) という概念とも通底する概念であり、テクストを解明するための一つの大きな分析装置となり得る探究方法である。

 この方法を用いることによって、ここでは子安氏のテクストの地平を近代日本思想史の枠組みから拡大していき、このテクストの中でスポットライトが当てられた思想史的側面とは別な側面に光を当てることで、解釈空間を、あるいは、ポリフォニー空間を広げていきたいと私は考えたのだ。しかしながら、この短い書評の中で多岐にわたる問題領域を取り扱うことは不可能である。ここでは「知識人」、「他者性」、「天皇制」という三つの問題設定、あるいは、分析課題に焦点を絞り、探究対象をクローズアップしながら、記号学的アプローチも取り入れつつ、考察を行っていきたいと思う。

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生命の根源としての血の流れ

 1118日から来年の124日まで、さいたま市のうらわ美術館で「芳年―激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」という展覧会が開催されている。詩人の野口米次郎が『六大浮世絵師』の中で「最後の浮世絵師」と呼んだ月岡芳年。江戸川乱歩が「残虐への郷愁」と、三島由紀夫が「飽くなき血の嗜慾」と述べ、彼の描いた血みどろ絵を偏愛したことはよく知られている。また、永井荷風が「明治に於ける江戸浮世絵最終の悌なり」と語り、称賛した美人画を描いた芳年。彼の作品を見るために私はこの展覧会に向かったのだが、芳年の作品全てに強く惹かれた訳ではなかった。私が見つめたいと思ったものは、戦争絵を描いた画家としての彼の作品であった。

 私は二年前に「藤田嗣治あるいは戦争画の巨匠」という拙論を書いた。その中で藤田の 「アッツ島玉砕」(1943:以後、作品の後に書かれた数字は制作年である)、「血戦ガダルカナル」(1944)、「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945) といった戦争画には芳年の血みどろ絵や戦争絵の影響が少なからず存在しているのではないかという仮説を提示したが、この仮説をもっと厳密に、多角的視点から見つめていく必要性を感じていた。今回の展覧会はこの検討を行うために絶好の機会を与えてくれると思われたのである。

 それゆえ、ここで検討する問題は芳年の作品のみに焦点を当てたものでも、芳年の浮世絵全体を対象とするものでもない。日本の戦争画を俯瞰した場合の芳年の作品の位置というものの考察と、芳年の錦絵と藤田の後期戦争画と呼び得る作品とを比較することにあるのである。

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エクリチュールの時間と色彩

  ジャンルとテーマはミハイル・バフチンの対話理論の二大基本概念であるが、彼は『言説ジャンル』の中で、「話し手が語ろうと望むことは、何よりもまず、言説ジャンルの選択・・・・・・・・・として実現される。この選択は言葉のやり取りの定められた範囲、テーマ的な必然性 (意味の対象)、対話者の構成的総体などの特異的機能によって決定される。その後、話し手のディスクール構想が自らの個人性や主観性をなくすることなく、選ばれたジャンルに順応し、適合し、定められたジャンルの形式の中で組み立てられ、発展していくのである」と語っている。ジャンルとテーマはテクスト構築において相互依存関係にある点をバフチンは重視したが、彼の主張が正しければ、ある著作のジャンルを探ることによって、その著作のテーマあるいは意味的な方向性を導くことが可能となるはずである。しかし、ある著作が常に特定の典型的なジャンルに区分できる訳ではない。混在されたジャンルの上に立脚した作品も存在する。その場合、作品はジャンルの安定した基盤を失い、新たなジャンルの構築に向かう点もバフチンは強調している。
何故ジャンルの問題に関するバフチンの理論を最初に提示したのか。それには以下のような理由がある。これから考察しようと思う林完枝の『青いと惑い』という作品が、オートフィクションというジャンルに属するテクストであるからである。オートフィクションについては後続するセクションで詳しく論じるが、伝統的なジャンル形式には属さない混在したジャンルの一形式と述べることができる。単純化すれば、自伝とフィクションとが融合されたジャンルの作品に対して命名されたジャンルであるが、『青いと惑い』はオートフィクションであっても、典型的なオートフィクションに属する作品としてしばしば言及されるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』とは大きく異なる特質によって構成された作品である。それゆえ、ここではまずオートフィクションというジャンルの問題について検討しようと思う。
第二の考察視点としては林の作品の特殊性を探るためには、伝統的なテクスト分析概念に頼ることはできない。何故なら、彼女のテクストは様々な側面で多層的・多重的な構成体であり、この複合性を明らかにするために新たな考察視点が必要となるからである。林の作品を究明するためにはスラヴォイ・ジジェクが『斜めから見る:大衆文化を通してラカン理論へ』(鈴木晶訳:以後サブタイトルは省略する)の中で展開した「斜めから見る」という方法を用いる必要があると考えられる。この方法を通して、『青いと惑い』の持つアナモルフォーシス的な多元的テクスト構造を明確に提示できるように私には思われるからである。
 第三の考察視点は第二の考察視点に基づくテクスト分析の結果を踏まえながら、『青いと惑い』のテクスト構造をより具体的に検討するために時間性という問題とエクリチュール内の色彩表現問題に絞って林の作品を見つめていこうと思う。この二つの問題を探究することで作品の中心軸が端的に理解できると考えられるからである。
 以上の三つの視点を用いて、『青いと惑い』という複雑に錯綜した著作について考察していくが、最初に注記しなければならない点が一つある。ここで行われるテクスト解釈は林のテクストの意味構造を探るものではあるが、それは大文字の意味として機能するテーマを見つめようとするものではなく、ポリフォニックな対話空間の中で作品の主旋律に隠れた小さな声に耳を傾けようとするものである。それゆえ、私はテクスト全体の持つ大きな物語とは敢えて積極的には対峙せずに、『青いと惑い』の中にある消え入りそうないくつかの囁きに耳を傾けるつもりである。

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