宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

純粋北一輝(後編)

 第六章 インターメッツォ  幕間劇『大魔王観音北一輝』 

  劇団佐渡自由舞台劇公演『大魔王観音北一輝』台本読み合せ
  於:劇団佐渡自由舞台アトリエ
 出席者:演出家 男優M 女優F その他コロス役俳優数名

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純粋北一輝(前編)

 第一章 純粋北一輝の概念
 
この試論はその人生のすべての期間を革命家として生きた北一輝(一八八三~一九三七)の革命精神に注目し、その思想の全般的な解明の端緒を見い出さんと試みるものである。純粋北一輝の発見乃至創造がここでの課題である。純粋北一輝という言葉の意味については、竹内好が『毛沢東評伝』の中で〈純粋毛沢東〉に与えた定義を援用したものであることを断っておく。毛沢東は井岡山で根拠地を建設したが、この根拠地を毛沢東は中国の全域に拡張した。その意味で井岡山時代に〈純粋毛沢東〉が成立したと竹内好は考える。
 「井岡山は、中華人民共和国の発祥の聖地と称しうる。ここで行われた実験が核になって、その周囲に肉づけされたものが今日の巨大な建設である。したがって、一切のものは遡れば井岡山に行きつくはずであり、危機に際して新しいエネルギイ源として省られるものも井生岡山である。そして井岡山の人格を代表するのが毛沢東である。」(竹内好『毛沢東評伝』1950年)
 〈純粋毛沢東〉というのはユニークだが危うい概念だ。竹内好の弱点を象徴する概念と言ってもいいかと思う。なぜならば、もし成功した革命家毛沢東の人格の確立が井岡山にあるとするならば、文化大革命の混乱と破壊の原因もその淵源は毛沢東の人格そのものにあり、もしそうであるならば〈純粋毛沢東〉は中国の社会主義建設の理念であると同時にその破壊を担保する理論でもありうるということになるからだ。〈純粋毛沢東〉は歴史的現在の中国においてはどのような評価が可能であろうか。それはおのずから別個の問題である。
 〈純粋毛沢東〉という概念が成立すると同様の意味合いにおいて私は純粋北一輝という概念も成立しうると考える。北一輝の思想と行動のすべてをそこから演繹できるような概念としての〈純粋北一輝〉。このような概念を発見しようと試みるのがここで私に与えられた課題である。しかし北一輝は毛沢東とは違って成功しなかった革命家である。今のところは成功していないだけであると大急ぎで付け加えておかなければならないのだが。北一輝の人生は挫折と失敗の繰り返しであった。そして北一輝のめざした革命は最終的に完全な敗北に終わったのである。失敗した革命家に我々が注目すべき理由などあるのだろうか? それはある。歴史の天使は廃墟をこそ凝視するのであるからだ。今はそれだけを述べて先に進むことにしよう。純粋北一輝はいついかなる形で成立したのか?

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