宇波彰現代哲学研究所

多種多様な「知」の交流を通じ文化創造との実践的な橋渡しをめざし、新たな学問分野の開拓を行う研究機関のブログです。

エクリチュールの時間と色彩

  ジャンルとテーマはミハイル・バフチンの対話理論の二大基本概念であるが、彼は『言説ジャンル』の中で、「話し手が語ろうと望むことは、何よりもまず、言説ジャンルの選択・・・・・・・・・として実現される。この選択は言葉のやり取りの定められた範囲、テーマ的な必然性 (意味の対象)、対話者の構成的総体などの特異的機能によって決定される。その後、話し手のディスクール構想が自らの個人性や主観性をなくすることなく、選ばれたジャンルに順応し、適合し、定められたジャンルの形式の中で組み立てられ、発展していくのである」と語っている。ジャンルとテーマはテクスト構築において相互依存関係にある点をバフチンは重視したが、彼の主張が正しければ、ある著作のジャンルを探ることによって、その著作のテーマあるいは意味的な方向性を導くことが可能となるはずである。しかし、ある著作が常に特定の典型的なジャンルに区分できる訳ではない。混在されたジャンルの上に立脚した作品も存在する。その場合、作品はジャンルの安定した基盤を失い、新たなジャンルの構築に向かう点もバフチンは強調している。
何故ジャンルの問題に関するバフチンの理論を最初に提示したのか。それには以下のような理由がある。これから考察しようと思う林完枝の『青いと惑い』という作品が、オートフィクションというジャンルに属するテクストであるからである。オートフィクションについては後続するセクションで詳しく論じるが、伝統的なジャンル形式には属さない混在したジャンルの一形式と述べることができる。単純化すれば、自伝とフィクションとが融合されたジャンルの作品に対して命名されたジャンルであるが、『青いと惑い』はオートフィクションであっても、典型的なオートフィクションに属する作品としてしばしば言及されるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』とは大きく異なる特質によって構成された作品である。それゆえ、ここではまずオートフィクションというジャンルの問題について検討しようと思う。
第二の考察視点としては林の作品の特殊性を探るためには、伝統的なテクスト分析概念に頼ることはできない。何故なら、彼女のテクストは様々な側面で多層的・多重的な構成体であり、この複合性を明らかにするために新たな考察視点が必要となるからである。林の作品を究明するためにはスラヴォイ・ジジェクが『斜めから見る:大衆文化を通してラカン理論へ』(鈴木晶訳:以後サブタイトルは省略する)の中で展開した「斜めから見る」という方法を用いる必要があると考えられる。この方法を通して、『青いと惑い』の持つアナモルフォーシス的な多元的テクスト構造を明確に提示できるように私には思われるからである。
 第三の考察視点は第二の考察視点に基づくテクスト分析の結果を踏まえながら、『青いと惑い』のテクスト構造をより具体的に検討するために時間性という問題とエクリチュール内の色彩表現問題に絞って林の作品を見つめていこうと思う。この二つの問題を探究することで作品の中心軸が端的に理解できると考えられるからである。
 以上の三つの視点を用いて、『青いと惑い』という複雑に錯綜した著作について考察していくが、最初に注記しなければならない点が一つある。ここで行われるテクスト解釈は林のテクストの意味構造を探るものではあるが、それは大文字の意味として機能するテーマを見つめようとするものではなく、ポリフォニックな対話空間の中で作品の主旋律に隠れた小さな声に耳を傾けようとするものである。それゆえ、私はテクスト全体の持つ大きな物語とは敢えて積極的には対峙せずに、『青いと惑い』の中にある消え入りそうないくつかの囁きに耳を傾けるつもりである。

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